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News Paper Push Man / YLA-MAGO

LATIN RAS KAZ — LATIN RAS KAZ @ 20:48

世間でいう「和物」の定義って、一般的にリゾートサウンド的なもの…というイメージが王道なのでしょうが、僕がここで紹介するものの多くはその王道から如何に自分らしく外れるか。それが自分にとってDJや選曲するときのテーマで、この曲もその王道からは大きく外れた曲です。その人なりの「和物」であれば僕は良いと思うのです。そしてそれがその人の専売特許になればしめたもの。

RUN DMCネタが云々という事を言いたい訳ではなくて、85年という時期のこの音楽的な挑戦。その勇敢な姿勢にこそ賞賛するに値するのではないでしょうか。
で、この曲がリリースされた当時の音楽的時代背景を踏まえてはなすと、ラップする事自体まだ珍しい事はもちろん。それまでの型遅れの音楽業界のしきたりやシーンに対して否定した主張をラップでやるという行為は、ポストモダンなものとして十分に機能した時代でもあり、今ラップするという事とは根本的な意味が違う部分もあった筈。
閑話休題。
そして、そんなポストモダンな輩は何に対して否定していたかというと、いわゆる、「歌謡曲」は敵だった訳です。歌謡曲全てがNOではなく、俗な物に何の疑問を抱かずに踊らせられるような風潮にたいして自分なりの意見を持つ事。
サブカルチャーとやらをまとった歌謡曲も多い今。コアな人が好む音楽とマスな人が好む音楽が昔程違いが無くなってしまって、作り手とそれを聴く側の意識も同じようになってしまった結果、その先には俗なものしか成り立たなくなってしまって音楽はとてもつまらなくなってしまうのだろうか…選ぶ側の審美眼が尚のこと問われそうだ。
極端に言うとカラオケとDJの境目が曖昧になってしまった今。顔色ばかり伺っていたら、下手するとネクタイを頭に巻いた酔っぱらいのバカ騒ぎのBGMに成り下がってってしまう危険性もあり、人や場を良〜く考えないと「歌謡曲」は危険です。
元々HIPHOPやDJなんかをやる人はこの「歌謡曲」とは完全に背中合わせだった筈で…今は恐らくアンチ感覚はないのでは?やっぱり良い意味でのアンチがある方が音楽は面白いです。そこを踏まえたうえで「歌謡曲」をやるのとアンチ感覚がないものとでは全く別もの。

さて、話をこの曲に戻すと、音楽をクレジットを見て、聴くのはナンセンスですが、
参加メンバーの生田 朗を調べると
ここで紹介するのは、まんざら場違いでもないのかもしれない。

という事で今回もおまけ付です。こちらでお早めにどーぞ。

私信 EXTRA THANX ! KOOL5


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